コーヒーをお客さまが楽しむ時間、そして共に過ごす毎日。そこには、そのお客さまだけの「物語」があります。

今回の「お客さまに会いに行きました」は、三重県にお住まいの上野さまのご自宅にやってまいりました。ご主人の上野達彦さまは、刑法の研究に長年従事。三重大学副学長、三重短期大学長を歴任。コーヒーにまつわるお話とともに、過去の海外赴任のお話もお聞かせいただきました。
こんな美味しいコーヒーがあるのかと
上野さまには2005年よりご愛顧いただいています。きっかけは何だったのでしょうか?
2003年頃にパソコン教室に通いはじめたんです。そのとき、土居珈琲さんを見つけました。お客さまの声に「香りが良くて、すごく美味しい」ということが書かれていて、そんなに美味しいのなら取ってみようと。頼んでみたら、もう本当に香りが良くて。こんな美味しいコーヒーがあるのかと思いました。
不安はなかったのでしょうか?
わたしの性格として、いいと思ったら突っ走ってしまうところがあって。
ソ連やイギリスに住んでいたことがあったんです。
若い時からコーヒーはよくお飲みになっていたのでしょうか?
わたしはちょくちょく飲んでいました。父親がブラジルの移民だったんですよ。向こうでコーヒー農園をしていたもので。
わたしたちは主人の仕事の研究で、ソ連やイギリスに住んでいたことがあったんです。
ソ連はいつごろお住まいだったのでしょうか?
チェルノブイリ事件が1986年。その前年です。
当時はどのような暮らしをされていたのでしょうか?
物資は少なく、お米はフィンランドやアメリカから調達してもらっていました。 外の公衆トイレはとても使えない。外出前には必ず“済ませてから”が必須でしたね。 冬は-30度。タオルを振るとカチンと板のように凍るほどでした。
イギリスで暮らしたご経験も?
ソ連の後、イギリスやドイツで暮らしました。イギリスでは、ピカデリーサーカス近くのアパートに住んでいましたね。イギリスの紅茶は美味しかった。でも、わたしが落ち着くのは、やっぱりコーヒーの香りでした。
達彦さまは刑法を研究されていたとお聞きしました。
わたしがソ連へ行ったのは、“犯罪のない社会”という思想を自らの目で確かめたかったから。 理論としてではなく、現地の暮らしのなかにヒントがあるはずだと。でも、実際はむしろ逆行していた。
「もう50年になります」
ご結婚されてから、どれくらいになるのでしょうか?
もう50年になります。
すばらしいですね。秘訣はなんですか?
わたしが寛容でいることかしら(笑)